「現象学」事始め①

最終更新: 2019年9月7日

「現象学」の一つの源流は「事象そのものへ」という目標を立てた哲学者フッサールにあるとも言われる(『論理学研究』1900年)。その後ハイデガーやメルロ=ポンティ、サルトルらがそれを引き継いでいくのだが、彼らの理論をそれぞれ学ぶだけでは「現象学」の本当の意味は見えづらい。

 西洋哲学は、それ以前のトレンドがどのように時代の要請に応じて変化していったかという一連の流れを理解して見ていくと面白い。一説には西洋哲学は、①ソクラテスを源流とする「ギリシャ時代」、②”暗黒の時代”と呼ばれる中世までの「キリスト教至上主義の時代」、③デカルトを源流とする「科学勃興時代」、④フッサールを源流とする「現象学の時代」と切り分けられたりするようだが、そうした切り口で考えていくと先のような理解が進むと思う。

 例えば近代哲学の父と呼ばれるデカルト(「方法序説」1637年)の有名な言葉に「我思う故に我あり cogito,ergo sum.=I think therefore I am.」という言葉がある。これはそれ以前のヨーロッパの人々が、あまりにもキリスト教の考え方や絶対王政という社会システムに依存して、“考える”ことを放棄して生きていたので、それに対してのアンチテーゼ的な意味合も含んでいる。この時代は自然科学が占い師や錬金術師の取るに足らない戯言から、人間の未来をも先導する“知性”となりつつある時代でもあった。他方で宗教改革を経験し権威を失墜しつつあったキリスト教は、何とか神の威厳を保つために新しい価値観を生み出している科学者を何とか亡き者にしようともしていた(例;ガリレオの異端裁判(第1回;1616年))。こうした両者のせめぎあいの渦の中で哲学者達もまた、その決着を図ろうとしていた。

 さてデカルトであるが、彼自信も数学者・科学者であった関係から、自然科学には大いなる可能性を感じていた。その原動力として「理性」や「合理性」の重要性を説いた。実際にその後科学は大いなる発展を遂げ、やがてニュートン(「プリンキア」1687年)を頂点に、科学が世界のすべてを説明する学問にまでたどり着いたかのような高揚感も生まれた(地平線上の月の動きという目の前の膨大な情報の集まりの中から、考えて考えた末にF=maという単純明快な運動の真実をあぶり出した)。

 そこから時代は100年ほど進んで、フッサールが論理学研究を発表した1900年前後の時代は、第一次世界大戦前の先の読めない停滞した時期でもあり、科学の発展や市民権(自由)の獲得がかつての宗教に取って代わる人間の救世主であるという高揚感もすでに失われかけていた。潜在的には次世代の新しい考え方が求められていた。

 この時代、マルクスが「資本論」を出版したのが1868年、フロイトが「夢判断」を出版したのが1901年、アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表したのが1905年と、学問的にも各分野でエポックメイキングな考え方が目白押しであった。そうした時代の要請に対し、哲学からの答えが「現象学」だった。(②に続く)

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