大江健三郎とイェーツ

最終更新: 2019年11月2日

 大江健三郎は、若かりし時に尊敬する大学院の先輩がその存在を教えてくれた。

 私は子どもの頃から本など読まない人間だったので、大江健三郎のデビュー作である「死者の奢り」が、いわゆる純文学と呼ばれるジャンルの作品に触れる初めての機会となった。

 しかし当時は正直良くわからなかった。“死体洗い”という都市伝説のように聞いた仕事の内容について初めて触れる機会でもあったので、恐れ半分興味半分という感覚であった。20年程前の話なので、内容はほとんど覚えていないのだが、仕事を終え外の水道で顔を洗うシーンなどはなんとなく覚えている。重苦しいというか、無機質な話の展開の中で、唯一さっぱりとした感覚を感じさせてくれる体験であった。

 大江は、自分の作風は「本当のことを書く」と繰り返し述べている。この作品での「本当のこと」とは、“死体洗い”に代表される目の前で起こっている密室内での事実だけでなく、その経験を織り込んだ主人公の内面の感情でもあった。死体洗いなど経験したことのない私などは、水槽の中でプカプカと浮かぶいくつかの死体を前にどんなことを経験するのか見当がつかない。多分「恐怖感」が湧き上がってくるだろうとは予想ができるが、そうした直接的でドラスティックな感情はこの物語の中心ではない。むしろ生と死の間の淡々とし冷静な主人公のこころがベースとなっている。印象的なシーンとして、堕胎のためこの仕事に手を染めた女学生が、死体を前に子どもを産むという重大な決意をし、その際に「嘔吐」している。直接的な恐怖よりも、この現実と内面との葛藤を象徴した“生”そのものである「嘔吐」には、“汚さそのもの”という直接的なイメージよりも、何か心打たれるものがある。

 さて、2019年9月のNHK「100分de名著」では、この大江健三郎の「燃えあがる緑の木」が特集されている。内容に関しては簡単に触れるに留めるが、その中で物語の象徴となる「木」についての説明がある。この木は、アイルランドの詩人であるイェーツの作品に出てくる木がモチーフだというのだ。半分は緑で、半分は燃え上がる木。この事が象徴する両義性がこの作品を生き生きとさせていると、ナビゲーターは説明する。細かく書くのはネタバレになってしまうので、この本の中で何度か登場する、イェーツの詩の最初の部分を記しておく(訳;私)。

「Vacilliation(揺れ動く)」 William Butler Yeats

Between extremities

Man runs his course ;

A brand, or flaming breath,

Comes to destroy

All those antinomies

Of day and night ;

The body calls it death,

he heart remorse.

But if these beright

What is joy?

様々な両極の間を
人間は自分の道として進むものだ
燃えさかるたいまつなのか、それともそれは螺旋を描き燃え上がる人の生そのものなのか
(両極とは)例えばそれは昼と夜とに象徴される矛盾であって
やがて人を破壊へと導く
肉体はそれを死と呼び
心は後悔として体験する
しかしもし、そうした運命を引き受けるとすれば、
生きる喜びとは一体何なのだろうか?


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