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執筆者の写真関東ロールシャッハ複合研究会

「現象学」事始め②

更新日:2019年9月7日

 「現象学」の成立には実は「心理学」も関係していて、それは心理学の祖である「ヴント(要素主義)」と「ゲシュタルト心理学」にあるとされる。

 ヴント(「心理学研究」1881年)は、実験心理学を始めた事で有名だが、実験で得られたデータをかき集めてそれをつなぎ合わせれば、心の全体像がが解明できるとも考えていた(要素主義)。それに疑問を示し発展したのが「ゲシュタルト心理学」(“図”と“地”;知覚されるものと背後となるもの)である。哲学的には、こうした要素主義的な考え方はデカルトに源流を持つ合理的な考え方につながるとも捉えられ、それに疑問を感じた哲学者は、アンチテーゼたるゲシュタルト心理学の考えに影響を受けるようになる(そのうちの1人がメルロ=ポンティでもあった)。

 神のみが正しいという常識を疑い、考えるという主体的な生き方を獲得する重要性を説いたデカルトの流れ(理想)が、結果的には新しい固定化した思想や常識を作り上げ、人々が苦悩することとなったという矛盾に、現象学の祖たるフッサールは向き合おうとしたのだろう。ちょうどこの時代、アインシュタインがニュートン以来の「絶対性」を「相対性」にまで拡大し、そのことが現象において無矛盾であることを証明した。つまり科学界では「絶対」という世界の更に奥があることをエレガントに示してみせたのだ(このスピリッツは「量子力学」にも引き継がれている)。ではフッサールやその後の「現象学」者は“その先”をどう考えたのか?。

 フッサールも常識や1つの解釈を再び疑うことが必要と考えたようだ。そこで出てきたのが“エポケー(判断停止)”という概念。一見それはデカルトの刷り直しにも見えてしまうのだが、デカルトが“疑う”という「理性」(「意識」)の活動を重視したのに対し、フッサールは“感じる”という「知覚」つまりは「意識」のみならず「無意識」の活動も用いながら、そこから立ち上がってくる新しい“何か”を信頼しようとした(これを「(現象学的)還元」と呼ぶ)。またそこには「志向性」という概念も導入して人間の主体性に光を当てた。私見だが、フッサールがフロイトとは別の角度で「意識+無意識」という新概念を示そうとしていたのではないだろうか。

 フッサールの「指向性」の概念は、彼の影響を受けた生物学者のユクスキュルでは環境と「知覚」との相互作用が生物の認知構造を構築するという説明に用いられ、メルロ=ポンティでは「知覚」を「身体性」にまで拡大させた人間の行動との関連性を検討する土台とされ、またサルトルにおいては「アンガージュマン(英;engagement);投企」という主体性や社会参加が人間の実存を取り戻す活動の源泉であるとしてそれぞれ発展していった。

 西洋哲学における時代の流れは、新しい発見の積み重ねのようでもありながら、実はソクラテス「無知の知」→デカルト「我思う故に我あり」→フッサール「現象学的還元」という形で、同じような考えをベースにしながら時代や人間の進化というスパイスを調合し続けた、思想の発展とも考えることができるようだ。

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