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発達障害と阪大法的視点

更新日:2020年3月6日

いくつかの発達傷害の子どものWISC結果を見ていると、書字障害があるLD的な子どもたちのプロフィールはPSIが相対的に低いという結果と、人間関係における落ち着きの無さを呈する子どもはPSIは高いもののVCIやWMIが低い(いわゆる昔の言い方では動作性IQ>言語性IQ)という結果によく出会います。


こうした傾向を手がかりに、阪大法と発達障害理解の接点について触れてみたいと思います。


事例検討会では、最近はこうした発達障害のケースを検討することが増えているのですが、その特徴として、①「外輪郭形態把握」ができていないこと。②「複合」や「フィードバック」ができておらず「対岸視」的なものの見方(自分の中に引き受けずに外界にあるものとして反応する)で外界を把握していること。③時にContamination的な反応が含まれているが、発達障害者は統合失調症者と違って本当の意味でのComtaminetionは生じにくいこと。等が話題に上ります。


この議論と先の子どものWISCの結果を結びつけると、書字障害の傾向がある子どもでは「見えているもの」自体がきちんと把握できていないので、相対的にPSIは低下し、また対人関係の問題を抱えやすい子どもは、「見えているもの」はそれとして理解し世界を掴んではいるが、それがどのような法則や論理性があるかという心の内面における構造化が十分にできていないので(=VCIやWMIの弱さに出ている)、見えたものの理解が自己中心的なものとなり、その中で行動をしていると考えることができるのではないでしょうか。


そう考えると、視覚として目の中に飛び込んでくる世界の情報は、そもそもそれをきちんと捉えられるかどうかによってまずは問題形成が分かれると考えることもできるのかも知れません。仮説ですが「見えているもの」がきちんと捉えられない人たちは阪大法で言う「保続」「(W)」「DW」のような反応になり、「見えているもの」を把握することはできているがその意味連関をある程度の冷静さを伴った現実検討をベースに繋げられないと、「C~C/F~CF」「M-」「見かけの外輪郭形態把握」等の問題につながっていくのかな?


このあたりの仮説は、今後研究会の事例検討等で更に掘り下げていきたいと考えております。


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